1999-1990  COLLECTION



1999 COLLECTION 「鳥の唄」 Catalan Folk Song

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カザルス、ピカソ、ミロ、ガウディ、ロルカ。彼らを生んだカタロニアと平和を願う鳥の唄。

 

「鳥の唄 CATALAN FOLK SONG」

 

9月14日/有楽町・朝日ホール

構成・演出/秦 砂丘子 

照明/(株)アート・ブレイン・カンパニー 

音楽/本田裕二 

舞台監督/中谷哲夫 

ヘア・メイクアップ/川邊サチコ



1998 COLLECTION 「ASIA meets EUROPE」

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97年の宗教、文化、文明の「まじりあい」に向けた視点をさらに押しすすめ、トルコの地からの色発信。

 

「ASIA meets EUROPA アジアとヨーロッパが、そこでまじわっている」

 

9月22日/有楽町・朝日ホール

構成・演出/秦 砂丘子 

照明/(株)アート・ブレイン・カンパニー 

音楽/本田裕二 

舞台監督/中谷哲夫 

ヘア・メイクアップ/川邊サチコ
 

 
 



1997 COLLECTION「ARMENIA 東洋と西洋が出会うところ」

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パラジャーノフの映画「ざくろの色」に触発され、アルメニアの血の色について語る。

アルメニアに興味をもったきっかけは、10年ほど前、シアトルの姉から送られてきた1本のビデオ・テープからでした。「ざくろの色」と題されていて、セルゲイ・パラジャーノフという監督が1971年に作った映画でした。
 姉は、アラン・ハバナスというクラシックの作曲家と結婚していて、彼もこの監督も、同じアルメニア人というよしみで、テープを手に入れたということでした。
パラジャーノフがなにものなのか知らないまま、映画を見ました。それはとても変で、映画というより心象風景を象徴化したような映像のこまぎれです。アルメニア人で隣国のグルジアの宮廷に仕えた18世紀の吟遊詩人サヤト・ノヴァの生涯をモチーフにしているのですが、詩人、恋人、尼僧、天使など6つの役を同じ女優ソフィコ・チアウレリが演じていて、見る側が混乱することおびただしいのです。多分、監督にとっては、筋などどうでもよかったのでしょう。
 詩の朗読、キリスト教アルメニア教会の合唱曲、叙情的な民族音楽のコラージュふう編成をバックに、パントマイムふうに展開される映像の幻想的切り口のすごさ。ところがそれを撮るカメラは、正面を向いたきり動かないのです。フレームの中に入った人物や物が動いて、紙芝居のようにカメラの前で演じるのです。パラジャーノフが登場させるおびただしいそれらは、彼の偏執狭的美意識の目を通して、合格したものだけなのですが、それでもあふれるように豊富なのです。シルク・ロードを行くイスラムの隊商の群、白い馬にまたがる中世キリスト教の王、弦楽器、多彩な民族衣裳、羊飼たちと羊の群、その毛を染めるための目に鮮やかな染料の数々、瓶、壷、タペストリー、じゅうたん、葡萄をふむクルド人の女性の足、絢爛たる装身具、メークアップなどなど。
この豊かで尽きることのない氾濫につきあった時、私はアルメニア、グルジアといったコーカサス(カフカス)地方の文化的土壌の面白さに打ちのめされていたのです。「まじりあい」一言でいえばそう云えるさまざまな文化的コンテキストの交錯のすごさでした。 なお「ざくろの色」とは、赤い血の色で、ここコーカサスでは、生命力の象徴です。
もう今では、アルメニアもグルジアもソ連から独立して共和国となりました。パラジャーノフの映画も、日本でも紹介されて、異才、鬼才、弾圧、投獄、葬儀での彼の死をいたむ群衆の暴動など、伝説化して語られるようになりました。

さて、こうしてパラジャーノフを糸口として、私のアルメニア探訪の旅が始まるのですが、「ざくろの色」が1971年に作られていることに不思議な因縁を感じます。60年代が終って70年代が始まった年という点で、現在との共通項が少なからず在るからです。

 

「ARMENIA―東洋と西洋が出会うところー」

 

9月9日/有楽町・朝日ホール

構成・演出/秦 砂丘子 

照明/(株)アート・ブレイン・カンパニー 

音楽/古賀明暢 

ヘア・メイクアップ/川邊サチコ 



1996 COLLECTION 「ANDY WARHOL COLOR GRAPHITY」

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絵、シルクスクリーン、レコードジャケット、音プロジュース、ムービー。ウォーホルの多角性を色で語っていく。

 

「ANDY WARHOL COLOR GRAPHITY」

 

9月18日/有楽町・朝日ホール

構成・演出/秦 砂丘子 

照明/(株)アート・ブレイン・カンパニー 

音楽/古賀明暢 

舞台監督/中谷哲夫 

ヘア・メイクアップ/川邊サチコ



1995 COLLECTION 「MIDI ミディ…南仏」

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宝石のように散在するコートダジュールの小さな村々。

阪神の大震災のあとの暗い日々の中で、なにか希望がほしかった。明るく輝いている何かを見てみたい。長い間、心のすみに追いやられていた私の南仏の太陽を、今回は思い切って出してみよう

---- これが、このコレクションのきっかけとなりました。

 

「MIDI ミディ…南仏」

 

9月12日/有楽町・朝日ホール

構成・演出/秦 砂丘子 

照明/(株)アート・ブレイン・カンパニー 

音楽/古賀明暢 

ヘア・メイクアップ/川邊サチコ



1994 CLLECTION 「Kelt」

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 われは海の上を吹き渡る風なり
 われは深淵の波なり
 われは七戦の牡牛なり
 われは巌上の鷲なり
 われは太陽の涙なり
 われは植物の最も美しきものなり
 われは水中の鮭なり
 われは平原の湖なり
 われは頭の中に火を作り出すものなり

 

ケルト民族とは?/彼らが住むブルターニュの海と地について語り、生み出す文様から東洋との相関性を考える

ケルトの地や民族に興味を持ってから、もう25年ほどになるでしょうか。その発端は、当時日本で働いていた友人ミッシェリーヌからでした。「私はフランス北西部ブルターニュに住むケルト人で、本当のフランス人ではないのよ。勿論、国籍はフランスだけど。ラテン系とちがって髪も目も黒い。ケルトは、インド・ヨーロッパ語族といわれているけれど、もしかしたら私は東洋系かも?」――その時はわからなかったけれど、今では私の目にもよくわかる。パリの人ごみの中ででも、ケルト/ブルターニュ人を探すことは容易である。あの特徴のある相貌、そして漆黒の髪と瞳。
 「私の住んでいたブルターニュの海は暗いの。雨と霧がいつも降っている。海岸線は入り組んでいて、小さな入江が点々とつづく。黄色い花が海岸線をうめつくして咲いて、遠くまで海の存在を示しているの。灰色の海は、朝早くひたひたと地平線のかなたへ去ってしまい、午後3時、また、静かに戻ってくるといった影のような海なの。灰色の四角い家々。屋根もスレート(石炭岩)の濃いグレーで、雨が降ると黒色になる。秋には、太陽光線がこの色を青みを帯びたグレーに変えて、心なしか柔らかくする。」「先祖には海賊もいたし、7つの海を廻った船乗りもいた。でも今は殆どが漁師。だれかが海で死ぬものだから、喪服がいつのまにか女性の日常着になったの。だから頭の先から爪先まで真黒。漁舟だって黒いのよ。」――私が知るかぎり女上位の家族が多いのだが、その一族の結束は驚くほどのものがある。「ほら、私の着ているこのスウェター母が編んでくれたものだけど、このダーク・ブルーを私達は嵐の海の色と呼んでいる。ケルトの伝統的な色と柄が家々に伝わっているのよ。」「え?それ英国のガンジースウェターじゃなかったの?」――ケルト民族は、今ではアイルランド、ウェールズ、スコットランド、そしてその周辺の島々、フランスのブルターニュに生き残っていて、編物の原点、ガンジーやアラン・スウェターは、彼らの遺産なのです。当時、それを知らなかった私は、その関連性に驚かされました。
――「よし、行ってみよう。ブルターニュへ。」決断は早かった。さて、2ヵ月がかりのドライブのあと、私には、なぜか近々しく感じられるこの地への憧憬が、より深く心の中に残されていったのです。

現在、幻の民族と呼ばれているケルトは、紀元前5世紀頃、南ドイツやチェコのボヘミア地方に「突然、暗闇の彼方から現れ」その文化度でヨーロッパ全域に勢力をのばしていった人々です。しかしその後、ローマと戦って敗れ、その帝国にのみ込まれ、遂にはヨーロッパの辺境、極西部へと追いやられ、現在の姿となったのです。「どこにもないケルト王国」といわれる通り、自由人の彼らは、国家というものを創りませんでしたし、むしろそれに永年抗ってきた反体制の人々です。彼らには霊魂不滅の多神教的な世界があり、森、泉、巨石などへの自然信仰が色濃いのです。ケルトは文字を持たなかったので、その神話、伝説は口承の語り部、詩人たちによって伝えられました。詩人は社会的地位が高く、不可欠な存在でしたし、その最高位は、ドルイド僧と呼ばれ民族の指導者でした。ケルト人は音楽、ヴォーカル、踊りにも大変秀れていますが、すべて楽譜なしの即興ものです。たしかに今でも、彼らは陽気、天真爛漫、お調子のり、けんか好き、夢追い人、大酒のみ、経済観念はあまりありません。ちょっとジプシーと似ているかな? そういえばジプシーもインド出身ですね。
さて、彼らが遺した装飾写本の福音書「ケルズの書」は、全頁、渦巻文様と組み紐文様とでうずめつくされています。まるで終ることのない増殖作用を引き起こした生き物のように、変形し、回転し、絡みあう。その上、動物、魚、鳥までが怪獣になって入り組んでくる装飾のカオス。マンダラの世界をはるかに越えて、ジャクソン・ポロックのオールオーバー・ペインティングを想起させる世界なのです。この文様は、石に彫られると組み紐渦巻文様となり、ニットではアランの縄凹凸文様となったのです。なぜ、これほどまでに2つの文様にこだわるのか? その解決を私は1つの詩片の中に見出しました。ドルイド僧が語った、ケルトの世界観を色濃く映した口承の詩です。(上紀の詩を参照)要するに宇宙的自己、つまり万物の本質と一体になった自己が語られているのです。 この詩はインドの直感哲学の聖典「優婆尼沙土」の一節と酷似していて、ケルトとインドの相関性を考えざるを得ませんでした。 コレクションを始めて29年目の今年、ニットの発祥の地、ケルトと私の仕事を重ねあわせてみたいという原点発想が、永年あたためていたテーマ「ケルト」となったのです。---1994年 8月

 

「KELT」

 

9月13日/有楽町・朝日ホール

構成・演出/秦 砂丘子 

照明/(株)沢田オフィス 

音楽/古賀明暢 

ヘア・メイクアップ/川邊サチコ



1993 COLLECTION 「Bonjour MONSIEUR CALDER」

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カルダーの環境/なぜモビールが生まれたのだろうか?

 

「こんちわ カルダーさん!」 親しげに私が呼びかけている相手は、勿論、モビール/風によって動く彫刻/を創った有名なアレクサンダー・カルダーに向かってなのです。フランスの田舎家で製作中の彼は、写真では肥った大男の好好爺といった風体、まるで大鍋のシチューを煮るシェフか、パン屋のおっさんといった親しみやすい雰囲気です。室内には、大きなダンロが燃え、台所の壁には所狭しと魚焼き用の金網、鍋がぶらさがり、食卓には、ワイン、パン、チーズ、花などにまじって彼のオブジェが雑然と置かれ、天井にはモビールが舞っています。ここは、愛妻Louisa夫人やお嬢さん達の生活の場でもあり、こまごまとした日常品とともに、彼のアートは生きて共存しているのです。


カルダーは、1898年フィラデルフィアに生まれました。はじめ機械工の訓練を受けましたが、絵画に転向。1928年には、パリに出ます。そしてこの田舎屋での創作が始まるのです。捨てられた木箱からの木刻、カンズメカン、割れた皿やビン、針金、身のまわりにある日常生活品を材料に、具象的で身近かなオブジェが作り上げられます。メガネ、ガンタイ、手、サーカスのブランコ乗り。魚、金網、スプーン、フォーク。鳥、動物などの登場するアニモー・カーニバル。1945年からの「プチ・モビール」は、台の上に置かれた動かない抽象的なオブジェですが、猫やねずみ、かわうそ達が見えかくれするのです。

昔から私はカルダーのモビール、―ひそやかな空気の振動を感じると、それを微妙な動きに変えていく―キネティックでない自然と一体となった永遠の動き―が好きでした。

今回、彼の生活、創作環境、作品をみるうちに、ある事に気がつきました。彼にとっては、抽象的で動くモビールが到達点というのではなかったという点です。創作年代を追うと、 動物を具象化したオブジェも、「スタビル」という動かない彫刻も同時進行で晩年までずっと創りつづけているのです。 この抽象・具象・不動・可動・不変・可変を同一視する包括力を素晴らしいと思いました。 そして、なぜ、それが可能だったのかを私は前記の写真の中に見いだしたのです。
 自然と結びついた生活の中に在ったアート。好きなものに囲まれ、それを造型化して行く幸福な過程。風が吹く日にはモビールを踊らせ、夕なぎの時刻には「スタビル」に動かない影を創らせる。具象のなかに抽象、抽象のなかに具象。同時存在は、彼を苦しませることにはならなかったのだ。 ―あんなに楽しそうな顔をしたおっさん―私は、納得し、彼に親しみをもったというわけなのです。
  「こんちわ カルダーのおっさん あなたの好きなものが、私も偶然 好きなのですよ!」 ---秦 砂丘子

 

「Bonjour Monsieur CALDER」

 

9月7日/有楽町・朝日ホール

構成・演出/秦 砂丘子 

照明/沢田祐二 

音楽/古賀明暢 

ヘア・メイクアップ/川邊サチコ



1992 COLLECTION 「ZANTHOS ザントス 光と影の丘」

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小高い丘の街を見る/夜明けから夜までの色の変化を時空経過で表現

タイトルのXANTHOS-ザントス―とは、ラテン語で金色の光、閃光の黄色を意味し、小高い丘の街に訪れる太陽の一日の時間差変化が、イマジネーション源になっています。

 

「XANTHOS ザントス・光と影の丘」

 

9月10日/有楽町・朝日ホール

構成・演出/秦 砂丘子 

照明/沢田祐二 

音楽/古賀明暢 

ヘア・メイクアップ/川邊サチコ 斉藤則男



1991 COLLECTION 「Cats」

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今年は、秦 砂丘子にとっては、パーソナルなところにある「Cats」がコレクション・テーマになりました。猫と永年語りあってきたという秦が、その詩的で奔放な色彩を猫とのシンパシーあふれる世界でお目にかけることと存じます。

 

「CATS」

 

9月5日/有楽町・朝日ホール

構成・演出/秦 砂丘子 

照明/沢田祐二 

音楽/古賀明暢 

ヘア・メイクアップ/川邊サチコ 

マスクデコレーター/高屋昭夫 

帽子製作/小林 時代 

靴製作/YELLOW―CAB
 

 



1990 COLLECTION 「NEO MODERN」

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コレクションという形で作品を発表するようになって、今年で25年になります。コレクションでは、つくったものをモデルに着せ、動かし、音と照明を与えるといった、いわば時間の流れのなかの動きの仕事をやってきたため、その記録方法はビデオだけだと思っていました。ところが2年前、コレクションを取材に来たスイス人の若いカメラマンの写真を見てぎくりとしたことが、私のなかで新しい何かが生まれるきっかけになったのです。 その映像は、もちろん、一瞬のなかに静止した世界でしたが、見つめていると、モデルは生きた表情で動き始め、音がなくなり、光が増してくるといったものでした。
その時点では考えてもいなかった本づくりが現実のものとなった今、何か新しい世界が開かれたような気がします。 この本は、昨日と今日につながる、あしたをつくるのが目的でした。  ---1990年8月 秦 砂丘子

 

「NEO MODERN」

 

9月11日/有楽町・朝日ホール

構成・演出/秦 砂丘子 

グラフィック・デザイン/田中 貴 

照明/沢田祐二 

音楽/古賀明暢 

ヘア・メイクアップ/川邊サチコ 

靴製作/YELLOW―CAB